行くよ

よしきと言います。1994年生まれ 大学卒業後、製菓の仕事、福祉の仕事を転々として いま現在フリーター。

気持ちの良い風

気持ちの良い 夜の風に乗って
いろんなことを想っていました。

東日本震災が 起きたとき、僕に できることなんかないし、どうせ 大人が解決してくれるんだろう。と思っていました。

けれど、僕らの生活が
日常に なりつつある中でも、
東日本震災の影響は、
じわじわと 心の
目に見えない傷跡をつけていたのですね。

その当時よりも、いまの方が 東北との距離が近く感じるのは、スマホを毎日、使っているからでしょうか。

熊本で、大きな震災が あったときは、
東北のときとは、また、違う姿勢で、
震災と向き合えたと思います。

それでも、遠くにいる僕らも、傷ついていました。

ここまでが、震災について 思ったことです。


去年のクリスマス、喫茶店のガラス越しの窓から
クリスマスツリーに 飾り物をしていたり、
ビルに 大きな広告を貼りつける仕事を している人を見ていて、
街を あんなに輝かせて、
街の人たちを ときめかせて、
さぞ、楽しい仕事なんだろうなぁと 思っていました。

そんな中で、クリスマスに なっても、
就活が終わらない 焦りから、
天狼院書店で、ジンジャーエールを飲み、
蕎麦屋の看板を見ながら 泣いてましたね。

夕陽で、寒くて
ジョンレノンの クリスマスの曲が 流れていて、池袋の通りの帰り道を歩いていて
ホームレスのおじさんが 空き缶を集めていました。

いま、夏の夜の街。
赤に 青に 光を 放ちながら、
広告を配るのは、危険な香りも感じながら
転がっています。

これは、冬の思い出です。

 

 

焼き芋屋、自動販売機の設置、水売りなどを考えてみるものの、商売に 結びつけるって まだ、できそうも ないです。

わかったことは、
焼き芋屋は 許可を取らなくても、
販売できることです。

これは、仕事のことです。

 

明日は、野球。
後楽園の周りは、大学が 近くて
よく ブラブラしてたから、
久しぶりに、楽しみです。

一度だけ、行った 東京ドームは
父親と ふたりでした。
2002年。小学校 2年生。
原監督だったと 思います。

清原、松井、江頭の
ホームランの花火は、忘れられません。

帰りの特急電車に乗れなくて、
普通電車に うずくまってたなー。

高橋由伸、見れるかなー。


「もっと はたらきたい」と
言ってた 過去の自分は、
なるべく 家族や友達に時間を分断されたくなかった。

無駄な難問を、あなたからの問いを
追いかけてた、
「一緒に 遊んでくれて、ありがとう」
この言葉も、過去のじぶんが、言ってました。

今も、変わりません。


夏の日差し、洗濯物は すぐ乾き、
気持ちの良い風が 扇風機から 届き、
寝転がって、ローリング ストーンズ?なんて バンドを 聴いて、本を読む。