行くよ

よしきと言います。1994年生まれ 大学卒業後、製菓の仕事、福祉の仕事を転々として いま現在フリーター。

嘘をついた。


嘘をついた。
「仕事はあと一ヶ月で 更新が切れる」と伝えた。
本当は2週間前に 自らの意思で辞めたんだ。
それを母親は まだ、知らない。

「仕事、辞めたの?」
銭湯で ぽかぽかの疲れて眠たい僕に、母親が尋ねた。
「職案の紙を見ちゃったの」
「ねぇ、どうしたの?」
母親の心配そうな顔は苦手だ。

最初に書いた嘘のことを意外は、全て正直に話した。

いつも思う、気持ちが軽くなった。

「あんたは ダメなんだから」

ダメな所をたくさん指摘してくれた、ありがたい。

そして 母親は「わかったから、もう、前に進みなさい。はぁあ、だから 学生時代に資格を取っておけばよかったのよ。何してた?あんた何にもしてなかったでしょ?目的を持ちなさいって 何度も言ったよね。お金を貸すから今からでも資格を取りなさい。」と言う。

僕「うん。」
「子供と関わる仕事は向いていると思う、ハローワークの方と探してもらおうと考えてる。」

母親 「わかったから、お父さんにじぶんで伝えておきなさい。」

話は終わり 僕は「ちょっと 出かけてくる」と言った。
「どこへ行くの?」と心配そうに疑いの顔をしている母親。

僕「ねぇ、まだ 8時だよ。どこへ行こうと、僕の勝手でしょ。」

母親「そうだよね。まだ、 8時だよね。ほんとに、あなたのことが心配で 心配で」

母親は、僕が悪いことをしているんだと思う。
でも、まだ、夜8時だ。
車を走らせ、カフェへ行く。
風呂上がりで 身体は火照っている。

そして、いま、僕はこの文章を書いている。


母親は いつも心配性だ。
それは 時に困るし、時に助かる。
3歳の頃、僕はよく発作を起こしていて、白目を向いて 手を噛んで よく入院していた。
おばあちゃんが言うには、母親はいつも泣いていたそうだ。
幼稚園に通い始め 発作がおちついてきて、次は中耳炎になった。
いつも、母親と耳鼻科に通っていた記憶がある。
身体が弱い僕に 母親は サッカーを習わせた。
サッカーは 楽しかった。
小学校に上がり、野球を習った。塾を習った。友達とは たくさん遊べと言う。
家で、ひとりで遊ぶな。誘いなさいと言われていた。剣道もやった。
いまから将来の仕事を決めなさい。
キャンプに行きなさい。
最後まで、続けなさい。
あんたは、将来 苦労するよ。

その時の僕は 疲れていることに気づかないくらい、心も身体も魂も疲れていたと思う。
なのに、いつも笑顔だった。
少しでも 未来を良くしようと信じていた。

それだけは「ほんとにエライね、よく がんばったね。」と 頭を撫でてあげたい。

そして、母親のことも、父親のことも大好きだった。

だけど、いま 悪口を言っている。

小学生の僕は「やめろ!」と言うだろう。

いまは 母親や父親のことは、好きでもないし、嫌いでもない。

でも、ある時 じぶんで考えようと決意した。

たいした人間には、ならなかった。