行くよ

よしきと言います。1994年生まれ 大学卒業後、製菓の仕事、福祉の仕事を転々として いま現在フリーター。

仮面

それはさて置き、「ガラスの仮面」が面白いです。
ガラスの仮面」は 少女漫画で、僕も 少女漫画を読むのが初体験でありました。
最初は アニメを見ていて、今日はその続きを漫画で読み、ついに最後の巻を残しました。
それで、「ガラスの仮面」の漫画を立ち読みしていて、漫画のあとがきに この漫画のことが好きな人の文章が載っていました。

面白いなぁと思ったのは、主人公の女の子は心の中に千の仮面を持っていて、演技をする時に 仮面をかぶる。
その仮面をつけることが、表現なんだと、僕は この漫画のことを解釈していたんです。

この読み手の方は、日常の仮面を外すことが 表現することなんだ と書かれていました。

「じぶんって、何だろう?」と考えた時に、僕にはじぶんは ありませんと思っていました。

そう思う理由は 日常という現実に押さえつけられているからなんです。

本当は 無意識の心の中に 色々なたくさんの他人という仮面をつけた自分自身が隠れているわけです。

この日常の仮面を取る時、しがらみから解き放たれて 人は じぶん自身を表現できます。

それは、オリジナリティということです。
仮面を取ることは、じぶん自身を信じることです。

様々な人の読む解釈は、違っていて面白いですね。

あと、思ったのは 最初に演技をした体験は いつだろう?と。

僕は 幼稚園のころ、ダンボールを草にしたり、画用紙に動物の絵を描いてお面にしたり、新聞紙で魔法の杖を作ったり、黒の幕をかけて、カスタネットを鳴らしていたお芝居をしていた日々のことを思い出しました。

大人たちも、ああやって、じぶんたちで
空間を作るのは 変わってないのでしょうか?

それは LIVEだったり、中華料理店だったり、文章だったり、テレビ番組だったり。

そんなことを感じました。

僕の通った幼稚園は、永田さんの書いてあった たんぽぽのような場所でした。

自由でした。

広場みたいなところの門を抜け、道路を挟んで プール2個分の雑木林があります。
その雑木林には 小屋がありました。
その雑木林には ミミズがいました。

鳥かごもありました。
孔雀がいて、掃除する時、飛びかかってくるので それはそれは怖いんです。

池もありました。
おたまじゃくしが ウヨウヨといまして、
後ろ足からついて、両手が出てくる、
へぇー、こうやって蛙へ成長していくのかと学んでいました。

本棚が ありませんでした。
紙芝居を見ていました。

みんなで協力して、遊具に飾りつけをする遊びがありました。
空が赤く見えたり、青く見えたり、黄色く見えたりする紙(名前、忘れた)、あれを遊具の中に取りつけます。

プールは2階に設置されていて、そこから天気の良い日は 富士山が見られます。

そんなことは思い出しましたね。

オチは?オチは?

ありません。おわりです。

もしも、文章が舞台だったら



もしも、文章が舞台だとしたら。

登場人物の僕。
作者の僕。
10年前の僕
登場人物の他者。
客席。

登場人物の僕の目は、客席を見ていない。

作者の僕は いま感じたことを
ぽろっと言葉に出てしまう。
そう、作者の僕は客席に座っている。
客席にも 光が当たる。
だから、客席に緊張感がないんだ。
この作者の僕が舞台を見ると同時に、客席を見ている。
客席には、10年前の僕もいるし、いまの僕もいる、読んでいてほしい人もいる。
この客席の人たちからの、作者の僕が見えてないんだ。

主観というのは じぶんに目が向いていない。

カメラは、幾つもあるんだ。

カメラは、登場人物の僕の目ん玉。
登場人物の他者の目には、僕の目ん玉のカメラがついている。
作者の僕の目ん玉カメラは、舞台のセットをも写している。


僕は僕のことを知っている人に向かって、表現している。

そして、全ての人たちが、微かに
ここは嘘なんだということに気づいている。
しかし、登場人物たちは 本当なんだと信じ込ませるように演技をする。
それで、客席は 舞台の世界が あたかも本当の世界なんだと信じる。
幕が降りる、夢の世界だったということを知らせる。
夢を日常へ持ってくることは できない。
夢のように日常を生きることは、できるのかも。

じぶんのことが 見えてないんだと思います。

投稿

ワイナイナ、わいはないなぁ。

ラジオに投稿をする時、いつも悩む。
うちの家族のちょっと変なこと。

僕のおじいちゃんは 新聞広告に載っている藤原紀香の写真を切って 糊で貼って スクラップのようにして部屋に飾っています。
いつも、遊びに行くと「おれは この人が好きなんだ」と教えてくれます。
最近は 剛力彩芽が好きみたいで、ぼくに 勧めます。

止めとこう。

次!
過去にしてしまった恥ずかしいこと
あっ!この前の日焼け止めクリームの話を使おう!決定ざます!


小説のタイトル
沖縄そばと空港
帰り道のテニス、歩き素振り
迷惑メールと賞味期限
ボタンでお呼びください

なんだろう?
ここのサイトになら、書けます。

みんなの謎、疑問
小学校の頃、帰り道にありを食べている友達がいました。
アリにはどんな栄養が、あるのでしょうか?

どうだろう?ちょっと寝かせてみます。

なりきる

じぶんのことを意識しすぎると、何も書けない。
目の前に鏡があると、書けない。

何を見てればいいのだろう?

真似をするって何だろう?
オリジナルって何だろう?
人の気持ちを動かすことって何だろう?
ホンモノは傷つくのかな。
ニセモノは楽しそう。

じぶんを出しなさい、あなたの人生を行きなさいと言われると、わからなくなってしまう。

誰かの仮面をかぶれば、世界に入り込めるのかな。

ウルトラマンの仮面を被る。

シュワッチ!
シュワッーーチ!

ダメだ、書けない。

オリジナルとか、自然にしようとすると、何にも書けない。

わたしはコップだ。

わたしはメニューだ。

わたしはウォークマンだ。

広告用紙になりきってみる。

広告用紙って いつも見られて 恥ずかしくないのかな。

広告用紙の中の人は いつも同じ表情。
じっと見つめられて、ずっと笑っている。

目の前に 野球選手のピッチャーが、いま、
まさに、投げる瞬間の広告。

その上に 「つなげよう 火災予防」と書かれている。

この野球選手も 「無理があるぜ」と思ってるんじゃないかな。

僕の頭の上にある 裸電球。
たまにしか 掃除してもらえないんだ。
少しずつ汚れがついていき、虫が止まったりする。
それでも、動けないんだ。
それって 辛いことだ。
もしも、物にも 感情があったら、辛かっただろうなと思う。

なんか面白いな。

夕暮れになりきってみる。
「ほ〜ら、子供たちよ、さみしがれ さみしがれ〜もう、帰る時間だぞ〜、帰りなさい。」

おれは屋根だ。
雨に当たる。陽射しが強い日もある。
だんだんと、色は禿げてくる。
そんなおれの色を染めてくれる時もある。
おれは、輝く。空よりも輝くんだ。
たまに、空気清浄機を乗せにおれの上に、
大人たちが体重をかける。
いててて・・・・ 頼むぜ。
そこんとこには、鳥の巣があるんだ。
おれの会話相手なんだ。


わー、面白い!

じゃあ、次は


おらっ、コタツだ!
そこのスイッチを押してごらん。
そうだ、そうだ 弱がいいんじゃないか。
あっ、そうだ いまは 夏か・・・・
いまは おらの出番じゃない。
冬のおらは 大活躍さ。
みんなの足を おらの懐で 温めるんだ。
へへへ、楽しいぞ!
たまに、横になって 眠るお父さんも いるんだ。
そんな時は 「眠れや、眠れ」と 歌うんだ。
でも、お母さんが「そんなとこで、寝ていると 風邪引くぞ!」って言うんだ。
それで、スイッチの電源を切られて、
おらの仕事は 終えるんだ。
夏場は 倉庫の中で、汗をかく。



スーツになりきる。
まず、一言 いいたいのだが、帰ってきたら、ハンガーにかけてくれ。
いいか、もう一度 言う。帰ってきたら、ハンガーにかけてくれ。
おれは、ソファーの野郎が嫌いなんだ。
ソファーの上に ぽいっと投げ捨てないでくれ。
今日1日、一緒に働いた仲じゃないか。
相棒よ。頼むぜ。
もーいっかい言う。
帰ってきたら、手を洗い うがいをして、ハンガーにかけてくれ。
おっ、今日は かけてくれたな。
ありがとう。

わたしは BGMよ。
わたしがいないと、世界は退屈でしょう。
いまを華やかな無駄な場所へ送り届けるわ。
放課後の学校では クラシックが 流れるのよ。
わたしは 思い出を作る役目なの。
忘れられる時も あるわ。
でも、音楽が流れると 生き生きと思い出を遊び出すの。
みんなに いつも 楽しめ!楽しんでおくれ!楽しもうよ!と呼びかけてるの。
さぁ、遊びましょ。


こんにちは、今日さん。
わたしは 明日です。
さあ、早くいらっしゃい。
面白いわよ。待ってるわよ。
あら、明後日さん、こんにちは。
なに?なに?
あなたも 面白いって?
楽しみだわ。

嘘をついた。


嘘をついた。
「仕事はあと一ヶ月で 更新が切れる」と伝えた。
本当は2週間前に 自らの意思で辞めたんだ。
それを母親は まだ、知らない。

「仕事、辞めたの?」
銭湯で ぽかぽかの疲れて眠たい僕に、母親が尋ねた。
「職案の紙を見ちゃったの」
「ねぇ、どうしたの?」
母親の心配そうな顔は苦手だ。

最初に書いた嘘のことを意外は、全て正直に話した。

いつも思う、気持ちが軽くなった。

「あんたは ダメなんだから」

ダメな所をたくさん指摘してくれた、ありがたい。

そして 母親は「わかったから、もう、前に進みなさい。はぁあ、だから 学生時代に資格を取っておけばよかったのよ。何してた?あんた何にもしてなかったでしょ?目的を持ちなさいって 何度も言ったよね。お金を貸すから今からでも資格を取りなさい。」と言う。

僕「うん。」
「子供と関わる仕事は向いていると思う、ハローワークの方と探してもらおうと考えてる。」

母親 「わかったから、お父さんにじぶんで伝えておきなさい。」

話は終わり 僕は「ちょっと 出かけてくる」と言った。
「どこへ行くの?」と心配そうに疑いの顔をしている母親。

僕「ねぇ、まだ 8時だよ。どこへ行こうと、僕の勝手でしょ。」

母親「そうだよね。まだ、 8時だよね。ほんとに、あなたのことが心配で 心配で」

母親は、僕が悪いことをしているんだと思う。
でも、まだ、夜8時だ。
車を走らせ、カフェへ行く。
風呂上がりで 身体は火照っている。

そして、いま、僕はこの文章を書いている。


母親は いつも心配性だ。
それは 時に困るし、時に助かる。
3歳の頃、僕はよく発作を起こしていて、白目を向いて 手を噛んで よく入院していた。
おばあちゃんが言うには、母親はいつも泣いていたそうだ。
幼稚園に通い始め 発作がおちついてきて、次は中耳炎になった。
いつも、母親と耳鼻科に通っていた記憶がある。
身体が弱い僕に 母親は サッカーを習わせた。
サッカーは 楽しかった。
小学校に上がり、野球を習った。塾を習った。友達とは たくさん遊べと言う。
家で、ひとりで遊ぶな。誘いなさいと言われていた。剣道もやった。
いまから将来の仕事を決めなさい。
キャンプに行きなさい。
最後まで、続けなさい。
あんたは、将来 苦労するよ。

その時の僕は 疲れていることに気づかないくらい、心も身体も魂も疲れていたと思う。
なのに、いつも笑顔だった。
少しでも 未来を良くしようと信じていた。

それだけは「ほんとにエライね、よく がんばったね。」と 頭を撫でてあげたい。

そして、母親のことも、父親のことも大好きだった。

だけど、いま 悪口を言っている。

小学生の僕は「やめろ!」と言うだろう。

いまは 母親や父親のことは、好きでもないし、嫌いでもない。

でも、ある時 じぶんで考えようと決意した。

たいした人間には、ならなかった。

なんだか上手く言えない

「なんだか、うまく言えない」

誤解かもしれないけど、大事にされていると思っているんです。

昨日は目に見える数字のことばかりに、気を取られていました。

数字のことは 気にしなくていい?

僕らを長く動かしてくれるのは、目に見えない力だと思う。

「はじめてのおつかい」というテレビ番組を観ていて、子供たちへのテレビ番組のスタッフたちの気遣いや 汗水垂らして追いかけている姿。

スタッフや親の
子供たちを遠くから 応援している姿は、いいです。
そんな目に見えない力が、動かしていてくれる。

読者のみなさんのことを、「はじめてのおつかい」のディレクターやカメラマン、音声さん、道を歩くおばあちゃん、お店の大人みたいにイメージしています。

僕もこの文章を書いていて、誰かが遠くで見ていてくれる気がします。
でも、目に見えない。
その世界を信頼することに、甘える。
だから、がんばれてるのかな?


まず、月曜日に ハローワークの方に謝る。
それは 約束を守れなかったから。
「あと、一ヶ月 がんばって」と言われてたんだもん。
でも、謝ってばかりも、良くないと思う。


つまり、何に対しても
「がんばります。」ってことを言いたかったんです。