行くよ

よしきと言います。1994年生まれ 大学卒業後、製菓の仕事、福祉の仕事を転々として いま現在フリーター。

こんにばんは

こんにちはと、こんばんはの間ですね。
こんにばんは。

まだ、友達にメールを送っていないです。
なんて最初にメールを送れば、いいのだろう?(さっさと、送れよ!)

「お久しぶり!どうも、
今度、会おっか。」こんな感じ?
中学生の時の友達に、メールを送るの なんだか恥ずかしい。(さっさと、送れよ!)

成人式途中で、帰っちゃった。し、
ま、送るけどね。

自我ということばの意味を、いまだに理解できていない僕ですが、このまま書き進めていきますよー。(こういうのが、いらんのか?)

小学校の頃、放課後にドッチボールをしていた。
僕は 塾があったので、途中で抜けて帰った。

カエルが現れる池を通って、青の小さなマウンテンバイクに戻り、「さぁ、帰ろう。」とした時、鍵がない。

慌てる、母親の顔を思い浮かべ 弱気になる、探す。

ポケットの中は探した、カバンの中も、校庭の隅から隅まで、鍵を探していた。

その時は、その状況を楽しめるじぶんを持っていなかった。

放課後の学校、オレンジ色の空に蒼がかかりはじめてきた。
帰りはじめる生徒たち。

次第に、心もしぼみ始める。
「ああ、もうダメだ。」、そう思った時、
「おお、どうしたの?」と 堂遠くんが声をかけてくれた。

堂遠くんは 不真面目なやつだった。
まず、チンチンを出す。中学生になると、二人乗りをする。人のゲームを返さない。
小学校1年生に借りた図書館の本を、小学校6年生まで 借り続けていた。
何度も「返しなさい。」と、先生に注意されているのを見た。
夏休みの宿題なんかやらないし、テストの答案用紙をトイレに流していた。
一度、堂遠くんの家に行くと、足の踏み場がなかった。
お父さんが、ゲームをしていた。
おばあちゃんが、耳をひねっていた。
おじいちゃんと、おばあちゃんは 神主さんだった。

堂遠くんに
「鍵をなくしちゃったの。」というと、
「探そっか。」と、
「おれは あっちから探すから、
お前、ここから探せ。」と一緒に校庭の隅から隅まで 探してくれた。

もうひとり、探してくれた子がいた
千海くんだ。
同じ野球チームのキャプテンだった。

夕暮れが、怪しげな薄暗い空になる頃に、
もしも、ひとりで探していたら、
僕は どうなっていただろう?と思う。

電光が点き、学校の先生がいる部屋だけが明るくなる。

「あったかー?」という堂遠くんの声。
「ない、ないや。」

「そうか。」と、学校の方へ走っていく堂遠くん。

いつも、
悪いことをしていたからか知らないが、
堂遠くんの判断力は早かった。

先生に鍵をなくしたことを伝え、一緒に
鍵のかかった自転車の後ろを持ち上げてくれた。

もう、辺りは夜だ。

てか、いま思うと、
堂遠くんは 両親に 「今日は遅くなる」と伝えなくてよかったのだろうか?
堂遠くんの両親も、心配してただろうに。

ノソノソと、自転車を引きずる。

「こんなところまで、ありがとう。」

 

 

 

 

 

昨日の続き

昨日の続き。

中島くんは、現在では 家に ひきこもっているという噂を聞いた。

妹と 中島くんの妹が 仲良くて、母親からも、「お前が 中島くんを遊びにでも、誘ってやりなさい。」と言われたことがある。

それで、一度 テニスに誘ったことがある。
荒水くんと、東田くんも誘って 夜遅くまで
テニスをした。

中島くんの日焼けしていない白い肌は、心配になったが、なるべく普通にしていた。

中学生の頃の
元気な「中島くんらしさ」を見るのは、嬉かった。

帰り道の自転車で
「最近、ジャンプ読んでる?」と聞いたら、最近の漫画事情に ついて
トコトン教えてもらった。
途中から、ほとんど聞いてなかった。

中島くんは、とにかく パソコンが得意。
最初に、ブログという存在を教えてもらったのも、中島くんだった。

「またね。」と最後の挨拶を交わした、高校3年生からは 会っていない。

その後、また、母親に 中島くんが家に引きこもりがちだと聞いた。
その時は、僕も弱っていて 「そういう時は、誰にも触れられたくないんだよ。」そっと静かにしてあげるのが一番だと思った。

そして、いま、「夏祭りの焼き芋を売るのを手伝ってもらうのは、どうだろう?」と。

『そうか!』、友達に 博打に付き合ってもらえば よかったんだ。

ただ、中島くんのメールアドレスやら、連絡先をいつの間にか 失っていた。

落ち着こう。

LINEで つながっている 中学同級生たちのあいつたちに
一斉に 焼き芋の件を伝えるのは得策ではない。
ここは、ひとりひとり ちゃんとメールを送って、会って 焼き芋のことを話そう。

大丈夫かな? できるかな?

そこで、東田くんに 中島くんのメールアドレスを尋ねようと決めた。

中学生の時のテニス部では、
東田くんは、テニス部のBチームの下の方だった。
僕はCチームの上の方だった。
Aが1軍、Bが2軍、Cが3軍だ。

僕らは BやCを行ったり来たりしてたものだから、他の人たちがコートで ラリーをしている。

その間、「あいつには ピンクのオーラが出ている」とか 「あいつの必殺技は ズキュンだ」とか「あいつは おじいちゃんだ。」とかよく無駄話とも言えない
中学生にしては幼なすぎる話をしていた。

その時、東田くんが僕に言ったことばを思い出した。
「大人になったら、一緒に ふたりで 自給自足しながら、キャンピングカーなんかでも借りて過ごそう。」だった。

その言葉を聞いた時、東田くんが
「男好きなのか?」と 少し引いた。

東田くんは、黒縁メガネで理屈ぽいところがあるので、周囲の人たちに距離を置かれていた。

「今日 東田くんも、呼んだから。」と言うと、「じゃ、俺 行かない」と言うヤツがいた。

バイ、また、人の悪口をいってしまった。でも、彼の人となりが 分かると思って・・・・

とにかく、東田くんの メールアドレスは持っていたから、連絡してみよう。
そして、中島くんのアドレスを教えてもらおう。

 

自由

カードゲーム仲間で、澤村くんがいた。
澤村くんは、太っていた。
が、スポーツは できた。
ひとりでいる人に、優しい声をかけている姿を見たことがある。

ただ、授業中に うるさい。
わー、きゃー言う。

6年生の卒業する何日か、前の日。
先生が、みんな それぞれに、好きな言葉を書いてみろと言った。

澤村くんは、大きく 「自由!」と書いた。

この「自由」という言葉こそ、澤村くんだった。

自由に、なりたい。

彼は、いかがお過ごしか。

でも、あいつも、あいつも、
変わっているだろう。

子供に戻す。

ナップサック

「ナップサック」

小学校の頃、作ったナップサックの中には
遊び道具がたくさん 詰まっていた。

僕の周りのともだちは、中学校卒業まで、ナップサックを背負っていた。

ナップサックを背負う 後ろ姿を見ると、8人くらいで、電車に乗り、
カードゲーム大会に 行った日のことを思い出す。

前の日に デッキを組み立て、
何度も 何度も 繰り返し対戦をする。

そして、当日の
対戦が始まる前は
マクドナルドの2階で、みんなで、
ビックマックを食べる。

ビックマックを 上手に食べられる人と、上手に食べられない人がいた。

上手な人は、ビックマックを最初に持ち上げて ちり紙を後ろに回す。
そうすれば、前からガブっと食べる時に
レタスやら ハンバーグやら ピクルスは はみ出てこない。

ある時、
中島くんと、僕は その方法で食べていた。

荒水くんだけは、「これ、どうやって 食べるんだろう?」と戸惑いながら、「えーい」と食べて 大変なことに なっていた。

中島くんと、僕は 黙って 上品に 黙々とビックマックを食べ続けていた。

いま思えば、食べ方を教えてあげれば よかった。

だけど、その時は 黙っていた。

「うんっ?」と 荒水くんは 周りを見回して 「あっ!」と ちり紙を取りに行った。

その時、中島くんが「まだ、まだ だな」と
ぼそっと呟いたことを、いまも忘れずにいる。



なぜ そんなことをしたのだろう?


「なぜ、そんなことをしていたのだろう?」と、いま思うと不思議なことがある。

それは、小学校6年生の頃 沖縄旅行を3組の家族と出かけた時の思い出。

僕の1つ下と、2つ下の男の子が いた。

沖縄の地ら海水族館に行った時、2つ下のしょうくんは、壁にへばりつく一匹の蟹のお腹を 一眼レフカメラで連写していたのだ。

カシャカシャ!、カシャカシャ!

様々なサカナを見たあとでも、しょうくんは 蟹を撮り続けていた。

海の生き物たちよりも、しょうくんのカメラ姿が記憶に残っている。

 

 

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文字起こし

おじいちゃんと、おばあちゃんの会話を文字起こし したいという欲望が あります。

今日も、17時30分から18時10分頃までの、
おじいちゃんと、おばあちゃんの掛け合いは、素晴らしく面白かった。

とにかく面白くて、
いつも、自宅に戻ると 面白かったなぁと思うものの、会話の内容を忘れてしまうのが悔しい。

例えば、「蚊に刺されちゃった。」と、僕が腕の腫れた部分をおじいちゃんに見せると、「止めとけ! 爪でひっかかれんぞ!」と おばあちゃんが すぐさま言う。

「ハハハハ、爪で引っ掻いといたほうが いいんだぞ」と おじいちゃんは 笑う。

「ほれ、キンカンつけとけ!」と おばあちゃんが、僕に キンカンを渡す。

「あっ、キンカンだ!懐かしい!」と僕。

「俺にも、貸してみ」と、おじいちゃんが、キンカンを手に持つ。

「俺なんか、これ チンチンにつけてな、ハハハハ」と おじいちゃん。
間髪を入れず、「バカみてぇ!」


ごめんなさい、歓喜で、ダダダダっと文章を書いてしまいました。

アイスティーを飲んで、おちつきます。

ゴクゴク。ふ〜。

今日ですね、朝、退屈の波に飲み込まれてしまいそうだったんです。

バイ 溺れると思った時、ツイッターを読んでいて、「捨てて、掃除をすればいいんじゃない?」という声が聞こえたんです。

「そうか!」と思い立ち、ゴミ袋に 要らない資料やら、期限の切れた保証書や、使わないダンボール、着なくなった服などなどを 思い切って 捨てました。

とれるNO1のスプレーを使って 床は 生き生きとして、掃除機をかけて 空気は澄みました。

「ここから、はじめよう」という気持ちになりました。
あっ、売れなかった焼き芋も、捨てました。

それで、ひとり 夏の陽射しが当たる、気持ちの良い風が吹く扇風機に当たりながら ただただ、眠っていました。

その時は、色々なことを思い浮かべましたね。

「もう、オレダメだ。」という悪夢、みんなに疑われること、小学生時代の夏の思い出、遠くへ行きたいけど 動けない現実、できることの少ない現状、お金に倒されるんだ。

聴けない日があったとしても、
日曜日のお昼から 5時間も
爆笑問題のラジオがやっていることは
僕にとっては 幸せ。
そこに、いてくれるだけでいい。


これは、恋みたいな思い出で、
読んでいる方達に訊きたいのですが、
小学生の頃、授業中に 色塗りをしていたんです。

それで、
夢中に塗っていて、授業が終わる数分前に隣の席に座る女の子が、「外側の線は、色を濃く塗るの。内側は薄く塗ると、きれいに塗れるんだよ。」と 教えてくれたんです。

キーンコーンカーンコーンと チャイムが鳴り、彼女は 席を立って どこかへ行ってしまいました。

僕は ずーと その机を見ていました。

彼女は 僕のことが 好きだったのでしょうか?(笑)

それから、今日まで 僕は その教えを守っています。

あの、7月17日 2 へ行きます。

 

 


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